Physical, 19 December 1981

1981年の今日、12月19日にBillboard 1位だったのはオリビア・ニュートン=ジョンの名曲、フィジカルです。
オリビア・ニュートン=ジョンは、イギリス生まれのオーストラリア育ちで今も音楽活動をされているそうです。

イングランド・ケンブリッジ生まれ。母方の祖父はアインシュタインとも親しかったドイツのノーベル賞受賞物理学者マックス・ボルン (Max Born)、ウェールズ人の父親はケンブリッジ大学のドイツ語教授であった。5歳の時に父がオーストラリアの大学に移り、家族とともに移住。14歳の頃から学友とバンドを組んで、バーなどで歌い始めた。1965年、出演したオーディション番組で優勝。その懸賞で英国に戻り、1966年にデビューした。
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なんと、祖父はノーベル賞受賞物理学者だそうです。お父さんも教授ということで、その反動で14歳でバンドを始めたのでしょうか・・・

73年からヒットを飛ばし続け、78年からは映画にも進出されてます。80年に入り、過去の清楚で女性らしいイメージチェンジを図るため、強くて健康的な曲とPVの「フィジカル」をリリースしました。その後、オリビアに曲を提供していたプロデューサーでもあるジョン・フャーラーから離れましたが、しばらくヒット曲に恵まれませんでした。

83年に映画「セカンド・チャンス」の主題歌でデイビッド・フォスターのプロデュース、スティーブ・キップナーとピーター・ベケッドの作、「運命のいたずら」が5位を獲得しました。
85年にレコード会社を変えて歌い続けましたが、「運命のいたずら」以降、トップ10入りはありません。。

Wikiによれば、「2012年、自身が鬱病との闘病生活を送っている事を告白」とあります。現在はお元気なんでしょうか。心配です。

フィジカルのPVでドキドキした世代のみなさん、最近、体力の衰えを感じていませんか?
ビデオを見て体を鍛えましょう!

Say Say Say, 17 December 1983

1983年の今日、12月17日にBillboardの1位だったのはポールマッカートニーとマイケルジャクソンがデュエット、コラボレーションした Say Say Sayです。

レコーディングされたのは1981年の末で、同時に「ザ・マン」もレコーディングされ、2曲ともポールのアルバム『パイプス・オブ・ピース』に収録された。前年(1982年)に発売されたマイケルのソロアルバム『スリラー』内の「ガール・イズ・マイン」でもポールがレコーディングに参加しているが、実際に録音されたのはこちらの2曲が先になる。
– Wikipedia

“The Girl Is Mine”も素晴らしい曲ですよね。(アルバム『Thriller』からの先行シングル。ビルボード誌では、1983年1月8日に週間ランキング最高位の第2位を獲得。ビルボード誌1983年度年間ランキングは第36位 – Wikipedia)

 

1983年10月3日に『パイプス・オブ・ピース』の先行シングルとして発売された。当時のマイケルの『スリラー』人気も手伝って、アメリカのビルボード誌では、1983年12月10日から6週連続で週間ランキング第1位を獲得。ビルボード誌1983年年間ランキングでも第3位を獲得した。ビルボード誌の集計では、ポール・マッカートニーがビートルズを解散後、自身の最大のヒット曲となり、また、マイケル・ジャクソンにとっても、ジャクソン・ファイヴから独立後で最大のヒット曲となった。
– Wikipedia

ポールにとっても、マイケルにとっても、それぞれが築いてきたビートルズとジャクソン・ファイヴを解散、独立してから最大のヒット曲ということで、重要な曲だったようです。

作曲に関しては、2人がそれぞれ歌っている所を作曲している(Aメロがポール、Bメロがマイケル)。ビデオ・クリップも作成され、当時のポールの妻だったリンダ・マッカートニーとマイケルの姉のラトーヤ・ジャクソンが参加している。
– Wikipedia

天才二人が各々のパートを作曲した奇跡のコラボレーション作品ですね。そのあたりを気にしながら、改めて聞いてみたいと思います。